「かわいい孫には会いたい」でも「世話はしたくない」その理由は、年を重ねてきた祖父母が「かわいい孫の世話をしてあげたい」けれども…。
お世話ができにくくなってきている肉体の老いについていく事のできない悲痛な心の叫びでもある心情が奥底にあるじぃじとばぁば。
子供と一緒に遊べる体力のある息子や娘にとって、理解し難い肉体の老いの狭間で苦悩する親。
息子娘には理解できない老い
孫の動きについていける若いじぃじばぁばであれば、一晩早くからゆっくり寝れば案外疲れた体は戻るものですが、孫の動きについて行きづらくなった祖父母にとって慣れない上に無理を重ねていくようになればあちらこちらが痛くなって疲労感が溜まり始め体が動かなくなってくると、不思議と弱音の愚痴が出始めたりしてしまいます。
息子娘もたまに来る実家で「のんびりしたい」親は「のんびりさせてあげたい」里帰りした子供や孫に「良くしてあげたい」でも心とは真逆で体が動かない、しだいに「してあげたい」という気力も萎えてしまうようになってしまいます。
老いを感じる時の例
1.ペットボトルのキャップが開かない
2.お菓子の袋を開けられない
3.ドアノブをひねることができない
4.疲れやすく、眠くなる
5.体の動きが悪くなる
6.乳幼児の抱っこやおんぶがきつくなる
7.家事が面倒になる
子と孫疲れが起きるのはなぜ?
たまに変える帰省であっても、小さな子供の世話は体力を要し、怪我をさせないように常時気を配り、食事の支度や洗濯などの量も多くなるなど子や孫の帰省で嬉しい反面心身の疲労も知らず知らず溜まり始めてきます。
一時の事と思っていても、無理が生じて体調を崩しやすくなっていったりしてしまいます。
子供の世話や家事のすべてを親に託すことになると、親の心身に限界が起こり体調を崩したり、親の対応に変化が起きてきたりします。
対応の変化とは、子や孫と接するときに体に疲労が溜まって怒っているわけではなくても無口になってしまったり、無表情であったりと自然に笑顔が消えた真剣な顔つきになっていってしまいます。
結して怒っているわけでなく、すべきことを真剣にしていて余裕がなくなった状態の言動です。
帰省時にトラブルが起きる理由
孫息子娘家族の帰省を迎える側の親のできる範囲と子供や孫が親や祖父母に臨む範囲の食い違いが起きていませんか?
子や孫が帰省する気持ちは、じぃじばぁばに会えることが楽しみであったり喜びであったり、懐かしい実家に帰って親と話したり、日頃の疲れを癒す為ゆっくりしたり、孫に合わせてあげて親の喜ぶ顔をみたいという思いからです。
じぃじばぁばも孫の顔を見たい、欲しいものを買ってあげて喜ぶ顔を見たい、家を出た息子娘とも話しをしたいという気持ちは同じです。
しかし、帰省してのトラブルの原因は、帰省も1週間2週間と長期の滞在となると祖父母の肉体の負担と親子の生活環境の異なりや孫の育児の異なりなどの行動や感情などのずれがおきてきます。
日常の家事のお手伝いの協力などがされていないのであれば、負担が片方にのしかかってしまいます。
*祖父母側であれば
孫の面倒を見るとなるとケガをさせてはいけない
孫の動きについていけなくなってきた
家事の負担がのしかかってくる
金銭面の負担が大きい
*息子娘側であれば
子の育児の方法が親と異なりに気を遣う
親にもよりますが、親の生活圏の愚痴を聞く辛さ
実家で日頃の疲れを取りたい
子供と離れて一時でも自由になりたい
お互いが満たされない状態になると双方の不満が表面に出て無表情になってしまったり、不満の言葉やイライラが行動に知らず知らずのうちに出てきたりしがちです。
帰省で家族が上手くやる方法はあるの?
帰省した息子娘家族と上手くやるには、それぞれの異なった生活環境を互いに否定した見方から、親子であっても個々の一つの家庭を持つ独立した家族と思ってお互いの環境を理解し合うことで相手にすべてをやってもらうのではなく、親そして子の出来る範囲を話し合い協調した環境づくりが大切になってきます。
私事ですが、すべてを任されると寝がけに一気に緊張がほどけてしまうことで体のあちらこちらが痛くなりだしてしまいます。
疲労も重なって数秒で寝てしまいいろいろな意味で「幸せ」でもありますが、互いに思いやりの中で温かい気持ちのある心が感じられる時の一日の終わりの睡眠時は「明日も楽しみ」的な幸せ感があってこれはさらに「最高の幸せ」でもあります。
親子ですから、多少の言い分を口にすることも大切ですが、親子であっても大切な親大切な子を気付つけつような言動だけは慎みたいですね。