怒られている孫が可哀想!
孫が娘や息子に叱られている時、そっと見守っていても本心は「そこまで怒らなくても・・・」としつこく怒られている孫がかわいそうになります。
叱っている躾から、言うことを聞かせるための感情の怒りになっていませんか?
当然、
じぃじばぁばも親をしてきているから、
息子娘の気持ちはわかっていても、
もっといい話し方や
注意の仕方があるのではないか?
と言いたくなる気持ちを、
実は抑えているのです。
抑えるんことがつらい時は、静かに自分の部屋に戻っていったり、何かしらのことに集中するようにしていたりしています。
もしかして自身が子育て中に、そんな言い方を息子や娘にしてきたのではないかと自問自答をしながら、過去を振り返りわが身を責めることもあったりする事もあります。
「じぃじばぁば」は叱られている孫をかばうことは、息子娘たちにとっても、孫にとってもいい結果にならないことを体験者の話を聞いたりや自らも経験を通して知っているつもりです。
頭でわかっていても、経験をしてもつい言ってしまうことを繰り返してしまうことも知りつつ、口を出さずにいられない衝動に駆られ、口を出したその時はいいものの、また同じような状況が起きた時に「じぃじばぁば」は、何も言わずにいることが一番いいことを理解せざるを得ない状況が訪れます。
それぞれが傷つき、言いようのない後味の悪い気持ちが残り、家族がどうしたらこの時期を乗り越えられるかをそれぞれが考えた結果を出すようになります。
叱られた孫に対して只々聞き役の「じぃじばぁば」
孫が叱られた時は、口を挟まないことが一番いい!!
「じぃじばぁば」は、息子娘が孫を叱っていたり、孫が言うことを聞かない態度に怒りとなってしまったとしても孫の肩を持つことも、息子娘たちの肩を持つことも絶対あってはいけないことを体験を通してしっていきます。
どちらかにつくことで家族の輪を乱し、なぜか争いがさらに増す結果になることを何度も繰り返す経験の中で知るようになるからです。
孫が叱られた後の聞き役は、「じぃじばぁば」の役割ということで、家族がそれぞれ考えるベストな方法だということがだんだんとわかり始めてきて、ひたすら聞き役に徹していることに気付きかされるようになります。
何度も何度も、孫の未来を考えて話し合う中で、時として息子娘との互いに涙しながらの口論の末、互いを理解しあうようになっていくように思えます。
そして、知っることとなることは、
一言でも、孫の見方になるような言葉は息子娘夫婦と孫の関係が悪化していきます。
孫に加担する事は、孫自身が「じぃじばぁば」は「僕・私の味方」と思わせてしまうことになり息子娘に対してわがままをいいだします。
親子間の決め事であったり、躾などに対して反発をするようになってきます。親も理解させるための注意の言葉使いから、「言うことを聞きなさい」の命令的な言葉の使い方が頭ごなしの怒り方になることから、さらに子供が言うことを聞かなくなるという悪循環になっていくように思います。
小さな子供であっても自分を理解してくれる心の置き場所が必要らしく、孫は「じぃじばぁば」に自分の納得いかない気持ちを言葉に出して言うことで気持ちが楽になるらしく、イライラしていた態度も次第になくなっていきます。
何も言わなくても、「じぃじばぁば」の側で何かを一緒にしているだけでも、「じぃじばぁば」が孫の好きそうな本を読んであげるだけでも子供は明るさを取り戻していきます。
孫は孫なりに、自分の行動を少しずつ改善していくようになっていき、親子間がうまくいくようにもなってきます。
子供の反抗期は、成長の証として温かく広い目で見ていてあげたいものですね・・・。